平常心をたもちたい

心にさざ波をおこす日々の出来事。

先生

職場の上司を「(上司の名前)先生」と呼んだら、
「先生はやめてください。
 多くの場合、先生と呼ぶのは馬鹿にしているときだ。」
と言われて、ずいぶんとひねくれていると思った。
少なくとも私は尊敬の意味を込めてる。

でも今は別の理由で"先生と呼ぶ弊害"に納得している。

世の中には、何十年も先生と呼ばれ続けることで、
自分はなんでも許されると勘違いする人がいるから。
まさにわたしの師匠(男性)がそのタイプの人で、

己の欲望を抑えられない(だからお気に入りの弟子[女性]に対しての愛情がダダ漏れ)
自分は常に正しいと思っている(だから反論・批判は受け入れられず、「殴るぞ」などの暴言をはき、さらに相手を悪者に仕立て上げる、もしくは自分が悪者にならないよう弟子たちがいがみ合うよう仕向ける)
弟子たちは思い通りになると思っている
(だから思い通りにならないと執拗に要求を繰り返す)

弟子たちに絶えず「先生」「先生」と呼ばれているうちに、
理性のネジが錆びて朽ちてしまったようだ。

内容の違いはあれ、いろんな研究室で起きていることなんじゃないだろうか。
これに対する効果的な対処方法は見つからなくて、
なぜなら弟子は先生よりも弱い立場で、
歯向かうことによるデメリットが大きすぎると考えるから。

自立(卒業)すれば自由になれる、そう思って耐え忍ぶしかない。
師匠を選ぶ目がなかった自分を恨んで諦めて。