平常心をたもちたい

心にさざ波をおこす日々の出来事。

今朝のとくダネ!

神田沙也加さんの結婚パーティーについての報道がありました。

ふなっしーがサプライズゲストだった、南海キャンディーズしずちゃんがきた…などなど華やかなパーティーの様子を報じていましたが、

報道陣のマナーの悪さによって近隣に迷惑をかけたことや、

あろうことか新郎の村田充さんに怪我を負わせたことに全く触れられていなくて驚きました。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170514-00010005-jisin-ent


臭いものに蓋をする様子を目にすると、

もしかして、怪我を負わせたのは、

とくダネ!のスタッフなのか?と疑ってしまいます。

他の報道番組はどうだったのでしょうか。


度々思うことですが、

報道の自由を笠にきて、

マスコミは何様のつもりなんでしょうか。

森友学園 2

誰に責任があるのか

 

許可をくだした側に一番の非があると思います。

そこで思い出されたのが、小保方晴子さんの博士号取消です。

 

小保方さんが提出した博士論文に不正があった件について、

早稲田大学は「研究者として基本的な注意義務を著しく怠った」として、

博士号を取り消しました。

大学側にも審査の不備があったことを理由に1年間の猶予を小保方さんに与えて、

その機関内に論文を適切に訂正すれば、博士号を取り消さないとしましたが、

結果は博士号剥奪となりました。

 

博士号の授与には、長いプロセスがあります。

博士論文提出前にいくつかの論文を発表し、博士論文を提出するにふさわしいと判断されてから、いざ博士論文を!となります。

その間、何人かの教授の査読があり、もちろん学生ですから間違いがあれば指導をうけます。

 

学生の指導を怠り、

不備のある論文を何本も見過ごし、

博士号を与えたのは、

大学です。最も責任を負うべきは大学の教授陣なのではないでしょうか。

 

自分たちの節穴具合を棚に上げて、

学生にすべての責任を負わせる姿はあまりに無責任で、情けない。

指導者である自覚が皆無なのでしょう。

 

論文で不正をおかした(それももはや確かめようがないですが)ことは、

もちろんいけないことだけれど、

だから全ての責任を小保方さん1人に負わせて良いわけではない。

弱い者の罪を隠れ蓑にしている卑怯な強い人たちをなぜマスコミは報じないのだろう。

 

森友学園 1

保育園の存続をもとめる籠池夫人と長男、大阪市職員との面会をテレビで観ていて、

会話の成り立たなさ具合に唖然としながら、

吉兆のささやき女将を思い出した。

テレビ業界には、衆目を集めるおばさんが定期的に登場する。

女将、節子さん、サッチー…

 

籠池夫妻に対して「この人たち、かなりたちが悪そうだ」という印象をうけるのは、

マスコミの影響も大きいのだろうけれど、

大方間違っていないような気がする、

 

ただ、そもそもの問題であった国有地払い下げにおいて、

一番悪いのは誰かと考えると、

払い下げや小学校の設置に認可をだした人たちなのではないでしょうか。

つまり近畿財務局、大阪府

 

私自身は籠池さんに対して好印象は抱いていないけれど、

どのような思想の持主だろうと、払い下げ問題には本当は関係ない。

高額な土地を購入する&小学校の認可が必要であれば何らかの働きかけや多少の根回し、ロビー活動的なことをするのは特別なことではないだろう、と想像できる。

 

そうしたアプローチをうけながら、

認可を下すのに適当であるかどうかを判断できなかった近畿財務局と大阪府

一番の責任があると考える。

だってどんなに買主が頑張ろうとも、

売主(許諾者)が売らなければ売買は成り立たないのだから。

 

国有地問題から端を発し、

先述の保育園のことやら、森友学園の台所事情はかなり困窮していくでしょう。

民事再生手続きもしているんですよね。

 

例えばこのまま森友学園が破産して、籠池さんたちが路頭に迷うことになった場合でも、

判断を下す業務を怠った近畿財務局や大阪府は無傷なんでしょうね。

 

不正な経営をしていた責任は負わなければならない。

ただし、払い下げ問題についての全責任を森友学園に負わせるのはあまりに卑怯でたちが悪い。

売主の責任を認めたうえで、関係者を一つずつ遡っていけば、

なぜ法外な値下げが可能だったのかが簡単に分かりそうなものを。

 

 

 

森友学園の国有地払い下げ問題について、こちらのサイトを参考にしました。

 時系列にまとめられていて大変分かりやすかったです。

 

tactical-media.net

 

 

 

 

建築家

もちろん全員とは言わないけれど、
建築家は詐欺師が多いのではないかと思わざるを得ない経験をした。

JIAには崇高な理念が書かれているけれど、
所属している建築家から受けた被害を訴えても何の対処もしない。

いくつかの相談窓口に足を運んでも
「そのような瑕疵は補償対象外です」「具体的な対応は弁護士に相談してください。弁護士は自分で選んでください」。

弁護士に相談しても、欠陥住宅の訴訟がいかに労力・時間・費用がかかるを痛感するばかり。

しかもそれを承知で訴訟をおこして勝ったとしても、
得るものがゼロ・・・どころかマイナス。

欠陥住宅の訴訟は細々とした経緯や被害を理解してもらわないといけないが、
裁判官はそれを面倒くさいと思う。
建築家サイドの言い分を信じる方が簡単だから、
「商慣例に従いなさい」「請求されているんだから払いなさい」。

そういった現状を許している法律。

世の中にはそういった被害にあって、人生を振り回されている人が沢山いる。
でも誰も助けてくれない。

先生

職場の上司を「(上司の名前)先生」と呼んだら、
「先生はやめてください。
 多くの場合、先生と呼ぶのは馬鹿にしているときだ。」
と言われて、ずいぶんとひねくれていると思った。
少なくとも私は尊敬の意味を込めてる。

でも今は別の理由で"先生と呼ぶ弊害"に納得している。

世の中には、何十年も先生と呼ばれ続けることで、
自分はなんでも許されると勘違いする人がいるから。
まさにわたしの師匠(男性)がそのタイプの人で、

己の欲望を抑えられない(だからお気に入りの弟子[女性]に対しての愛情がダダ漏れ)
自分は常に正しいと思っている(だから反論・批判は受け入れられず、「殴るぞ」などの暴言をはき、さらに相手を悪者に仕立て上げる、もしくは自分が悪者にならないよう弟子たちがいがみ合うよう仕向ける)
弟子たちは思い通りになると思っている
(だから思い通りにならないと執拗に要求を繰り返す)

弟子たちに絶えず「先生」「先生」と呼ばれているうちに、
理性のネジが錆びて朽ちてしまったようだ。

内容の違いはあれ、いろんな研究室で起きていることなんじゃないだろうか。
これに対する効果的な対処方法は見つからなくて、
なぜなら弟子は先生よりも弱い立場で、
歯向かうことによるデメリットが大きすぎると考えるから。

自立(卒業)すれば自由になれる、そう思って耐え忍ぶしかない。
師匠を選ぶ目がなかった自分を恨んで諦めて。